8月11日(金・祝)、「させぼピース展~佐世保から発信する“協力”の社会~」トークイベントの2回目を開催しました。
今回は、ほぼ満席のお客様にトークを楽しんでいただきました。
実は、台風6号が接近していた2日前の8月9日(水)にも大野隆之氏と安田恭子館長でトークイベントをしていました。
8月9日(水)は原爆の日であり、当時のベルギー領コンゴにあったウラン鉱石がアメリカに渡った経緯を安田館長が話しました。アメリカはウランが燃焼した際に精製される副産物のプルトニウムも作りました。そして、プルトニウム爆弾を作りました。アメリカは1945年の8月6日に広島にウラン型の原子爆弾リトル・ボーイ、8月9日に長崎にプルトニウム型の原子爆弾ファットマンを投下しました。
大野隆之氏は大学のデザイン学科を卒業後、車の整備工場に勤めていましたが、尊敬する上司の給料にショックを受け、22歳の時にホームページの制作会社を立ちあげ、23歳で軌道にのせたとのこと。そして、貯めたお金で世界中を旅しました。その時の大野氏の旅の目的は“現地の人の素の姿をみること”だったそうです。現地に住む人々の食生活、言語を聞き、さまざまな経験をされました。特に、海外で働くために履歴書をたくさん書いたお話は非常に印象深く残りました。当時、大野氏は英語をうまく話すことができませんでしたが、働いていた海外の料理店で「自分より英語が話せる外国の人はどうしてどうやって話せるのか」と聞いたところ、フィリピンに3カ月以上いた人が多いという共通点を知りました。そこで、大野氏は勤めていた料理店を辞めて、即フィリピンに行くことを決意しました。
フィリピンに着いた大野氏は物価の安さに驚いていましたが、同時に治安の良さが日本より安全・安心でないことに気づき、いかに日本が安心・安全なのかを痛感したとも語っていました。
また、大野氏は今の日本には“協力”が足りていないのではとお考えのようでした。昔の日本はみんな家族のように協力していてみんなで守りあう生活があったとお話をされていました。
大野氏のお話を聴いて刺激を受けたお客様もいました。
大野氏がする自給自足の村づくりを続けるためのエネルギーはどこにあるのかという質問に大野氏は「身近な人の笑顔がエネルギーです」と答えていました。
次のトークイベントは8月12日(土)、13日(日)、15日(火)いずれも14:00~15:00を予定しています。ぜひ島瀬美術センターに足をお運びくださいませ!