遺跡は、昭和52年(1977)に個人住宅の工事中に石棺が発見され、佐世保市教育委員会の調査で5基の箱式石棺が発掘されました。昭和53年(1978)に範囲確認調査実施され、弥生前期から中期の墓域であることが確認されました。さらに、昭和54・55年(1979・80)に発掘調査では、縄文時代から弥生時代の墓域が確認されました。
これまでの調査の結果、縄文時代前期~後期、弥生時代、古墳時代に至る複合遺跡であり、石棺埋葬の女性が装着していた南海産のイモガイ製貝輪から海上交易の一端が窺い知ることができます。