葭ノ本は三川内では最も古い岸岳系統の唐津焼を焼いた窯で、三川内焼陶祖の一人である巨関の子、今村三之丞が開いたとも伝えられています。唐津の波多三河守に保護されて、岸岳周辺に窯を築いていた陶工たちは、三河守が豊臣秀吉の勘気に触れ改易される、いわゆる「岸岳崩れ」で離散し、この地にも移り開窯したとされています。
昭和57年の発掘調査の結果、ほぼ同時代の3基の窯跡が確認され県指定史跡とされました。いずれも、焚き口の胴木間から教室は消失していましたが、3m四方の燃焼室が10教室あったと推定されています。また、陶器片などの捨て場である物原や工房、近くには陶工のお墓も確認されました。
三川内最古級の窯跡で、窯業の創始期を物語る重要な窯跡です。